加布里駅

加布里駅は、国道202号線から別れた先にあり、加布里市街地からは離れた位置にあります。この駅は、他の駅とは違って、昔はいろいろな設備がありました。たとえば、給水タンク、電化まで使っていた駐泊用の側線。現在でも架線工事の練習用?の架線柱など。
 電化前は、筑肥線の駅の中ではかなり重要な駅でした。無人駅とはいえ、列車交換を行い、そのための駅員が1名常駐していました。

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(1975年)
加布里の町並み加布里と加布里湾を望む。加布里駅は町から少し離れた所にあるが、最近は町並みが広がって一体化しつつある。

(1975年)
右下が加布里駅。写真中央は加布里小学校。

(1975年)
加布里駅にキハ17が先頭の下り列車が到着。

(1975年)
下り列車が出発。

(1979年)
かっての加布里駅舎。このころは常駐の駅員はいたが無人駅扱いであった。現在は橋上駅風になっていて、昼間だけ駅員がいる。この駅舎は現存していない。

2006/3/20
左の写真の現在。
建物は取り払われていて駐車場になっている。

2006/3/20
橋上駅になってしまった。トイレは昔のまま。

2006/3/20
唐津方面へ出発して行く103系3両編成。昔に比べると確かに便利にはなったが、何か無機質なものが多くなったような気がする。
1987年
 まだホームには屋根がない。103系も旧塗装だが、この年、JR九州になったので正面右上のJNRのマークは消されている
1987年
まだ博多が終点の時代

1987年 加布里を出て唐津へ向かう列車。JRになって正面のJNRの白いマークはなくなった。

1987年 レンゲ(正確にはゲンゲ)畑の中を行く、西唐津行き。(加布里 − 一貴山)

上り博多行き到着。(1975年頃)
いつも同じ時間に乗る人は一緒。ほとんど顔見知りである。なお。先頭のキハ30 55は先日(2017年)廃車となった関東鉄道キハ101である)。この当時は、筑肥線の車両の所属が入り乱れてたので不明であるが早岐かもしれない。



真冬の加布里駅。(1975年)この頃は、みんな適当なところからホームに向かっていた。無人駅だし!

列車が来るのを待っている。この時間帯は加布里でも座れないくらい混んでいた。

加布里駅全景。まだ電化など夢の時代
(1975年頃)
左の側線は加布里止まりの気動車列車が待避するために使われていた。1975年頃までは「博多発加布里行き」があり翌朝「加布里始発の下り」として運行していたが、そのうち東唐津まで延長されたので、真夜中に回送で戻ってきてこの側線に泊まっていた。
電化によりその使命を終えたが、1983.3/21の最終日にも、なぜか回送で戻ってきている。(翌朝の始発の運用はもう無いのに?)
蒸気が走っていた頃はホームの東唐津よりの端に給水塔があった。1975年には、まだその名残として、この先の長野川鉄橋横に取水設備の残骸があった。

加布里駅は無人駅の扱いではあるが、列車交換のために、駅員は配置されていたので駅舎はあった。現在は橋上駅風になっていて、写真の駅舎は現存しない。

上り列車(キハ30?)はホームをはずれて駅員のところで止まる。停止位置表示は無く通標を受け取る駅員がその役目。

(1975年)
編成はキハ28+26 400+30 など

(1975年)
先頭はキハ28(冷房用の発電機を持っている)。今時、こんな場所から撮影は出来ない。

キハ17系の東唐津方面行きが到着(1975年)

1983.3
上り列車を待つ試運転列車。

103系の試運転列車とキハ35系が同時に見られたのはこの頃が最後。(1983.3) まだ国鉄時代なのでJNRのマークが表記されている。

並んで撮影。(1983.3)
103系のこの塗色は見ることは出来ない。

1983.3
キハ35系の勢揃いといったところだが、103系との対比が面白い。

1983.3
ホームを見ると、かさ上げされた部分がよく見える。このときにはまだ旧駅舎が健在だった。

撮影T.N.(1975.5)長野川橋梁を渡る列車。
まだ、キハ35等の塗装は一般色が全盛だった。右下にかつての給水タンクへの取水のための水槽が残っていた。

撮影T.N.(1975.5)長野川橋梁を渡る列車。
まだまだ、キハ17系が幅を利かせていた。なお先頭のキハ30 56は関東鉄道キハ3011となっている(2017年現在)


撮影T.N.(1975.5)長野川橋梁を渡る列車。
キハ26 600(400?)が筑肥線に移動したばかりの頃で塗装も急行色のまま。

1979年
長野川を渡る上り客車列車。牽引はDE10 1584(香椎)。早朝の風景。

1975年
DE10(500番台)を先頭に東唐津行き客車列車が加布里を発車。

1975年

1975年

1975年
この時の編成はDE10 500 + オハニ61 + スハ43 + スハフ42 + オハフ33 624 + スハ43 + オハ47? + スハフ42

ワ22000の右後方の倉庫からすると加布里での撮影と思われる。(1962年頃)

(1965.3)
加布里駅の前原方にも給水ポートがあった。(画面中央)

(1965.3)
蒸気機関車(C11)が走っていた頃の加布里駅のホーム端(東唐津寄り)には給水タンクがあった。この水はすぐ南側の長野川から取り入れていた。川辺の貯水槽は1980年頃までは撤去されずに残っていた(上記の「長野川橋梁を渡る列車」の写真の右下に見えるコンクリートの水槽)。

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